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スマホを見るのは「活字離れ」なのか? 内閣官房参与の「活字離れ」の重さとは?

time 2016/01/26

スマホを見るのは「活字離れ」なのか? 内閣官房参与の「活字離れ」の重さとは?

 地方紙の福島民報に政治家の寄稿がありました。
 その内容は「若者の活字離れ」の話。

 ⇒スマホ依存からの脱却を(1月24日) 福島民報

 スマホの情報収集を安易と批判し、「読書」のすばらしさを伝えています。
 そして結びでは、「活字に戻れと警告しておきたい」と手厳しいご指摘。
 納得できる部分もあるものの、そこはかに散りばめられた違和感の数々。
 「あなたはスマホを使いこなせていないのでは?」と聞きたくなります。

 新聞の軽減税率の議論でも「活字文化」の大切さがアピールされました。
 それに作家や文学界の方々も迎合されている記事が多々ありました。
 彼らの言う「活字」とは、なぜか紙に印刷されたものだけを指しています。

 今回、寄稿したのは内閣官房参与を務められる宗像紀夫議員。
 内閣官房参与といえば総理大臣の相談役で、いわゆる「ブレーン」です。
 彼の持つ若者との認識の食い違い、それはかなり危険なものかも知れません。

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「活字離れ」の意味が間違っている?

 活字とは、活版印刷で使われた文字を印字するための道具です。
 現在にでは活版印刷はほぼ絶滅しており、その意味では活字は存在しません。

 ただ、wikipediaでは「活字離れ」を以下のように説明しています。
特に新聞や書籍など紙に印刷された文字媒体の利用率が低下すること
 その意味では、活字とは紙媒体に印刷された文字のことを指すとも言えます。
 言葉は生き物ですから、時代により意味が変わることは珍しくありません。

 それでも「活字離れ」に違和感があるのは、その効果の部分です。
 活字離れにより、ニュースや文学や歴史に興味を失っている、とされます。
 スマホでニュースも文学も歴史も読めますけど?となるわけです。

 そして、嫌な憶測が生まれてきてしまいます。
 「活字離れ」を言う人達は、スマホを使いこなせない老人達なのだろうと。
 政治家や新聞の論説委員や大物作家は、揃ってみんな老人ですから。

スマホによりむしろ読書量は増えている?

 子供のころに、家に辞典があった方々も多いのではないでしょうか。
 広辞苑や大辞林、国語辞典に漢字辞典に英和辞典などなど。
 知らないことを調べるためには、必要とされたのは辞典でした。

 それが、現在ではスマホ一台あれば事足ります。
 すべての辞典が、スマホを使うことで読めるのです。
 これは、実はものすごいことなんだと思いませんか。

 その上、スマホは持ち歩いて使用することができます。
 知らないことがあると、その場ですぐに調べて知ることができる。
 しかも、時事ニュースなど速報性のある知識であっても問題なしです。

 紙媒体しかない時代は、知らないことがあれば辞典を引いて調べます。
 そのために、家や図書館など辞典が置いてある場所に行かねばなりません。
 結果、調べ物を忘れたり、面倒で興味を失ったりすることもあるでしょう。
 現在の方が、圧倒的に読書量、知識量は豊富にあるといえるのです。

 しかし、その事実からは目をそむけ、ひたすらに紙媒体以外を認めない。
 スマホを使いこなせていないから、利便性を知らない可能性はあります。
 でも、政治家や論説委員が電子書籍の存在を知らないはずがありません。

 結局は、自分達の価値観をパラダイムシフトできないだけなのでは。
 内閣官房参与が新聞に日和った寄稿をしたとさえ疑ってしまいます。

テレビは悪でスマホは視聴率を下げたのだが?

 老人世代にとっての「活字離れ」の大敵といえばテレビでした。
 テレビは目が悪くなるだけでなく、頭も悪くなるとされました。
 そして、読書せよ、新聞を読めと言い続けてきたのです。

 今やテレビは凋落の時代に入り、視聴率は下がる一方です。
 その理由は娯楽の多様化、とりわけスマホのせいだとされています。

 テレビが悪の権化、さながら魔王だとしましょう。
 すると、「若者のテレビ離れ」を起こしたスマホは勇者なのでは?
 ところが、老人は新聞や書籍に回帰させたくて仕方がなかったのです。
 それで、テレビの次はスマホを魔王に仕立て上げようというわけです。

 このスパイラルは、若者が新聞や書籍に回帰するまで続くのでしょうか。
 しかし、残念ながらその可能性は薄いと言わざるを得ない状況です。

 そもそも、既得権益に雁字搦めになった新聞や書籍たち。
 自身が若者に近寄ることをせずに、「活字離れ」とは良く言ったものです。
 これは、「若者の活字離れ」ではなく「活字業界の若者離れ」です。

政治家の「若者離れ」は笑えない?

 今回の寄稿で肝なのは、それが内閣官房参与によるものだということ。
 論説委員や作家が「活字離れ」を叫ぶのは放っておいても構いません。
 若者側が、新聞や書籍を買うかどうかを選択する立場だからです。

 しかし政治家、それも総理大臣の相談役となると話は違います。
 彼らは国民に対して「政策」という形で関与してくることが仕事です。
 その立場にあるものが「若者離れ」では目も当てられません。

 インターネットの普及によって、世代間格差は過去にないほど開きました。
 おおまかに50代以上と40代以下とでは、生活スタイルがまったく異なります。
 そして、社会の中心に居座っているのは50代以上の「老人」方なのです。

 これからもインターネットは生活により入り込んでくる。
 子供達は生まれたときから親のスマホをいじって育つのが普通になっている。
 なのに、社会の中心はネットもろくに扱えない老人達が廻している。

 世代交代とはまでは言いませんが、中心部分に老若男女を混在させないと。
 この先何十年もネットすら使えない老人の妄言を聞くことになります。
 次の選挙から、いろいろと考えないといけませんね。

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