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「源氏なのに義経が出てこない」150年の時を超えた勘違い?

time 2015/12/07

「源氏なのに義経が出てこない」150年の時を超えた勘違い?

 京都府の源氏物語ミュージアムが企画展を開催しています。
 その内容は源氏物語から源平合戦、平家物語など幅広いもの。
 「源氏なのに頼朝も義経も出てこない」という苦情から企画されたものです。

 源氏物語ミュージアムは源氏物語に関する資料を収集・補完する博物館。
 本来、源氏物語にゆかりのない義経や頼朝は「管轄外」のはずです。
 源氏物語、そして源平合戦の時代は実は150年の開きがあります。

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源氏物語と義経・頼朝は150年の時間差

 源氏物語は平安時代中期の長編物語でフィクションです。
 「光源氏」が主人公でその名を取って「源氏物語」です。
 作者は紫式部さんで、原稿用紙2400枚分に及び単行本なら8巻相当です。

 1008年の初出といわれています。
 頼朝は鎌倉幕府を開いた将軍、義経はその弟ですから1170年頃の人。
 実に、150年ほどの時代のずれがあります。

 現在から150年前は「江戸時代」ですから、どれだけ昔かという話です。
 幕末動乱の最中で第二次長州征伐をやったのが1865年です。

源氏の由来は同じ?

 源氏物語の主人公・光源氏は架空の人物です。
 しかし、その源姓は日本では非常に高貴な姓となっています。

 「源平藤橘」は貴族名族の姓とされ日本の代表的な姓とされました。
 「源」は皇族を離脱し臣籍となる際に名乗る名のひとつです。
 ただ、天皇が姓の下賜を乱発し過ぎて価値が薄れてしまったそうです。

 平安時代は「源平」が下賜されていました。
 源氏物語を執筆した時代には、源姓は朝廷廻りに大勢いたのでしょう。
 「光源氏」が源姓から連想して名付けられたのは間違いなさそうです。

その後の源氏はどうなった?

 平安時代に源平の下賜が乱発したため、権力者の多くは源平になります。
 そこで、大合戦が起きたときに源氏と平氏に分かれた戦いになりました。
 兵力を率いる権力者は源氏か平氏、奥州藤原氏など限られていました。

 ちなみに、平氏は朝廷で権力を握っていた「京都の平氏」です。
 それに対抗した源氏には別の平氏や藤原氏も味方しています。
 「源平合戦」は実は、「京都平氏 vs その他大勢」の戦いでした。

 さらに時代が進むと、農業技術が上がり貨幣経済も浸透します。
 そうすると、庶民が経済力を持つようになり豪族が登場します。
 豪族は権威付けのために、姓を名乗るようになります。

 そこで再び注目を浴びたのは、乱用で権威を失いかけていた「源平藤橘」
 それを高貴な姓として特別扱いし持て囃し、権威付けを行います。
 そして、血統図を金で買い血族や末裔を名乗る豪族が登場するのです。

 そのため、戦国時代の「血筋」などはほとんどが嘘だといわれています。
 信長は平氏、秀吉は藤原氏、家康は源氏といわれていますがどうでしょう。

歴史は「疑問」を知るところから広がる

 源氏物語が縁もゆかりもない義経・頼朝も含めた企画展を開催する。
 「源氏」をキーワードに幅広く歴史を知らせる非常に良い企画です。

 歴史はただ出来事を時代順に羅列して記憶していく作業。
 それが、世に歴史嫌いを増やしていった一番の原因だと思います。
 教科書から解放されたビジネスパーソンは自分で歴史を調べに行きましょう。

 その入口は何気ない「疑問」で十分なのです。
 たとえば、「源氏物語になぜ義経が出てこないのか?」などなど。

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