ナレッジ ウォーカー 「時事散策」

龍馬は剣豪だったというけれど 北辰一刀流はどれだけ強いの?

time 2015/11/09

龍馬は剣豪だったというけれど 北辰一刀流はどれだけ強いの?

 剣豪とされてきた坂本龍馬は、本当に剣豪であったのか?
 このほど、北辰一刀流の免許皆伝書が本物と鑑定され事実認定されました。

 龍馬は北辰一刀流免許皆伝の剣豪とされながらも、真偽は不明でした。
 敵の剣戟を拳銃で受け止めて大けがをするなど、剣術家らしからぬ所業。
 実は、剣の腕は大したことないのではないかという説もありました。

 それが「剣豪だった」と決着したことになります。
 しかし、「北辰一刀流の免許皆伝」というのはどの程度の「凄さ」なのか。
 現代の価値基準に例えて、凄さを感じてみましょう。

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剣術の腕前は現代の学力に相当する?

 江戸末期の武士は文武両道が求められていました。
 当時の文といえば蘭学であり、蘭学者が最先端を行っていました。
 そして武といえば、剣術や槍術などの武芸になります。

 武士が名を挙げるには、名のある道場で剣を極めるのが一番の近道です。
 江戸の名のある道場で目録を得れば、道場を開いて食べていけます。

 さながら、名のある道場は現代の有名大学といったところでしょうか。
 武芸の腕前も去ることながら、全国各地から名のある若者が集まります。
 武芸を極めれば、ぞれぞれの国に帰ってそれなりの地位につく若者です。
 その人脈を作れるという強みも、有名大学に通じるものがあります。

当時の花形道場は「江戸の三大道場」

 幕末期の江戸では「三大道場」が名を馳せていました。
 鏡新明智流の士学館、北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館。
 「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と評されました。
 現代の大学でいえば、早稲田、慶応、上智のようなものです。

、龍馬がいたのは北辰一刀流の玄武館の分室。
 北辰一潮流の千葉周作の弟・千葉定吉の道場でした。
 分室というのは身分制度のためで、龍馬は下級武士なので分室でした。

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を得たわけですから、相当なもの。
 塾頭を務めたとされる証言もあり、本当なら主席ということ。
 早慶上智レベルの大学で主席となれば、相当なものだとわかるでしょう。

千葉定吉はどれだけ強い剣豪だったのか?

 龍馬に剣を教えた千葉周作の弟・千葉定吉。
 彼が大した腕前ではないというのでは、龍馬の剣豪説も怪しいものです。
 しかし、それは杞憂というもの。

 千葉定吉は兄・周作と共に剣術の教えを受けてきました。
 兄の玄武館の設立にも協力し、安定したところで分室を構えました。
 その腕前は相当なもので、鳥取藩の剣術師範も務めていたとされます。

 「幕末の三剣士」に千葉兄弟は数えられていません。
 三剣士の一人、大石進と千葉周作は引き分けたといわれています。
 千葉定吉については、「幕末の三剣士」と対決した記録はありません。

 強いのは間違いないでしょうが、この記録だけでは測りかねます。
 とはいえ、龍馬は「剣豪」だったといっても差し支えないでしょう。
 龍馬は叩き上げのイメージがありますが、エリートの方が相応しいのかも。

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