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前田慶次「無苦庵」発掘でブーム再燃か? 「花の慶次」だけではわからない3つのトリビア

time 2015/10/29

前田慶次「無苦庵」発掘でブーム再燃か? 「花の慶次」だけではわからない3つのトリビア

 前田慶次が隠居後に過ごした屋敷「無苦庵」の発掘調査が始まりました。
 慶次ファンのボランティアが集まり、作業に当たっています。

 前田慶次といえばマンガ「花の慶次」で一躍有名になりました。
 その「傾奇者」や「漢(おとこ)」に惚れた方も多いことでしょう。

 前田家を出奔して浪人となり、上杉家に士官して、米沢についていく。
 上杉家は大幅な減封とされたため、慶次の扶持も減らさざるを得ない。
 そして「傾奇納め」をした慶次が晩年を過ごしたのが「無苦庵」でした。

 そんな魅力的な前田慶次ですが、「花の慶次」は良作とはいえマンガ。
 そこから読み取れない「史実」がいくつかあります。

 「無苦庵」で新発見があれば慶次ブーム再燃もあるやも?
 押さえておきたい前田慶次の3つの史実を紹介します。

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若い慶次と老いた秀吉、利家は実は逆?

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 前田家当主の前田利家を招いて当時は最上の接待だった風呂を用意する。
 しかし、慶次が用意したのは冷水を入れた湯船だった。
 前田慶次にまつわる有名なエピソードです。

 「花の慶次」では若い慶次と老齢の利家と見えるように描かれています。
 権力者の利家とそれを茶化す若手の慶次といった様相です。
 しかし、年齢は実は慶次の方が上だった可能性が高いのです。

 慶次の誕生年は諸説ありますが、1533年とされています。
 前田利家の誕生年は1538年ですから、なんと慶次より5歳も若いのです。

 さらに秀吉は1537年、家康は1543年、信長ですら1534年。
 つまり、天下人たちよりも年上だったことになります。

 「花の慶次」の有名なエピソード「百万石の酒」
 慶次と真田幸村や伊達正宗、直江兼続が温泉に浸かり「あと少し早く生まれていれば」と天下の趨勢が決した世を嘆くと、秀吉が登場するという名場面。

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 還暦間近のベテランが、20代の若武者と温泉に浸かっていたわけです。
 「あと少し早く生まれていれば」と語る若武者を眺める慶次。
 年の差を意識すると、全然違ったシーンに見えてきます。

慶次は大男ではなく普通の体格だった!

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 「花の慶次」では身の丈六尺五寸とされ、2m近い大男と紹介されています。
 しかし、慶次の身長に関する記録はなく、大男だったかは不明です。

 ただ、慶次が所有していた甲冑が残されています。
 その大きさは、他の武将の甲冑と変わらぬもの。
 そこから推測するには、六尺五寸の大男ではなく平均的な身長だということ。

 戦国時代の男性の平均身長は160cm弱です。
 大き目だったとしても、五尺八寸といったところでしょうか。

 ちなみに、昭和23年の男性の平均身長は161cmだそうで。
 実は、古来からずっと日本男子の平均身長は160cm程度でした。
 それが戦後の食生活の変化のせいか、2014年には172cmへ。
 「男は175cmは欲しいよな~」というのはつい最近のことなのです。

慶次には子供がおり息子は実直な加賀藩士として仕えた

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 「花の慶次」には慶次の子供達は登場しません。
 琉球でリサと出会い娶りますが、もちろん史実には登場しません。

 慶次は父前田利久の弟で、利家の兄にあたる安勝の娘と結婚しました。
 前田家当主の利久が、弟の娘婿として迎えたのが慶次です。
 そして、子のいなかった利久は慶次を養子とし前田家の跡取りにします。

 しかし、信長の命で利久は利家に家督を譲ることになりました。
 それがなければ、前田家の当主は慶次だった可能性が高いのです。
 家督を譲る命を出すよう信長に利家が働きかけたという陰謀論もあります。

 さて、前田家の跡取りとなるべく婿入りしてきた慶次です。
 当然、次の跡取りに継いでいくのが当主の重要な仕事です。
 嫡男 前田正虎が誕生します。

 正虎は「傾奇者」の父と違い実直な男で、前田家によく仕えたそうです。
 慶次が前田家を出奔する際にも同伴せず、その後前田家への帰参を進めます。
 それを慶次が断ると、正虎は慶次を勘当し親子の縁を切ります。

 正虎も慶次が前田家を継いだなら、次の当主となったかも知れない男。
 泰平の江戸の世には猛将はいらず、正虎も加賀百万石を繁栄させたでしょう。

ビジネスパーソンが史実から学ぶことは?

 「花の慶次」の序盤のエピソード、末森城の合戦。
 その時点で慶次はすでに50代の壮年期でした。
 慶次が前田家を出奔して浪人になったのは60前のことです。

 当時は「人間五十年」の時代ですから、高齢者です。
 そこから自由に生き、名を馳せ、冒険を繰り広げる。

 燻っていると感じているビジネスパーソン諸子。
 人生はこれから、いくらでも自由に生きれることを慶次が示しています。

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