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朴大統領「来年にも南北統一するかも」はありえない?① 朝鮮は壁を壊せるか?

time 2015/08/19

朴大統領「来年にも南北統一するかも」はありえない?① 朝鮮は壁を壊せるか?

 韓国紙にて朴槿恵大統領が統一準備委員会討論会の席で「来年に統一が実現することもあり得る」と発言したと報道されました。これを形式的な激励とみる一方で、北朝鮮に何らかの急激な変化が起きる可能性が高いとみているのではないか、と憶測を呼んでいます。

 年初に20%台まで落ち込んだ支持率も、5月に40%台まで回復させましたが6月にはまた20%台まで急落しました。2018年まで5年間の任期の折り返し点である2015年、ここで成果を出さないとレームダックへ一直線と言われています。その起死回生の一撃が南北統一なのでしょうか。

 北朝鮮は「北の将軍様」が三代目になってから強行姿勢をさらに強め、国内では粛清の嵐を起こしています。すっかり冷めてしまった「統一熱」、これを機に蘇るのでしょうか。

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朝鮮の南北統一の方法は何か?

 現在の日本では北朝鮮からの情報は乏しく、韓国からの情報は豊富にあります。そのため朝鮮の南北統一を望んでいるのは韓国で北朝鮮は国体を維持するためにそれに反発していると見ている方も多いでしょう。つまり、韓国主導の統一を前提に考えてしまっているということです。情報量に偏りがあるのですから当然のことです。

 しかし過去には北朝鮮から統一方法の提案が何度か出されました。それに対して韓国の方が乗り気ではなかったのです。理由は単純に韓国にとって有利な状態ではなかったからです。

 統一すれば権力の座はひとつになります。出来るだけ自分達が優位になるように統一を持っていこうと政治の力が働くことは当然です。当時は北朝鮮も韓国も極貧国で、韓国の方が経済力は弱い状況でした。そんな状況で統一すれば中央は北朝鮮勢力に占められてしまいます。すでに共産勢力への匕首となっていた韓国を北主導の統一へ進ませるのは米国も許さなかったはずです。

 統一に動くときには片方の国力が優勢では劣勢側が承諾しません。そのためには互いに均等である必要があります。あるいは、圧倒的に片側が優勢であり劣勢側が呑みこまれたとしてもメリットがある状況が必要です。可能性があるのは後者でしょう。

 ではどのような統一の方法があるのか。過去に登場した統一案を振り返ります。

最初の統一案は「武力統一」だった

 最初の統一案は南北ともに武力統一でした。北朝鮮が「国土完整」をスローガンとすると対抗して韓国は「北進統一」を掲げます。つまり、外国勢力抜きで朝鮮戦争を再開しようということです。実際に再開していたら結局は劣勢側が外国勢力へ支援を求めて第二次朝鮮戦争へと発展したことでしょう。ソ連も米国もそれを支持せず、大規模な紛争に発展することはありませんでした。

 このとき武力統一に拘ったのは韓国の李承晩大統領でした。その独裁は12年続き、1960年になるまで互いに武力統一以外の統一案が提案されることはありませんでした。つまり、1960年までいつ朝鮮戦争が再開してもおかしくない緊張状態だったのです。

 ちなみに、朝鮮戦争の休戦条約に韓国は署名していません。休戦条約は米国、中国、北朝鮮の3国によって結ばれたのです。米国が署名することで韓国は「実質的に休戦」状態になりました。韓国が署名しなかったのも李承晩大統領の「北進統一」への執着があったからだと言われています。

一国二政府の「連邦制統一」という提案

 李承晩が失脚し韓国の2代大統領に尹ボ善が就任すると、その翌日に北朝鮮の金日成首相は「連邦制統一案」を提案します。最初の平和的な「統一案」は北朝鮮から提案されたものでした。

 連邦制は一国二制度が可能でありその上位に連邦政府が位置する形になります。当時は北朝鮮も韓国も独裁政治でしたので、共産主義という違いはあるも政体は似ていました。互いを尊重しつつ協力することで統一を進めるという提案です。連邦制は現在でも多くの国家が採用しています。米国、ロシア、ドイツ、イギリス、カナダとG8を構成する国の半数以上は連邦制の国です。

 ところが、尹ボ善大統領は1年経たずにクーデターで政権を奪われます。そして朴槿恵の父である朴正煕が大統領になります。クーデターですから前政権の政策が引き継がれるはずもなく、連邦制統一案は霧消してしまうのでした。

 その後、朴正煕は16年に渡って大統領を務めます。当然、独裁政治です。民主化の機運が高まると北朝鮮を敵視することで民衆を抑えました。そのため北朝鮮と韓国の関係は悪化の一途を辿ります。

再びの連邦制統一「高麗民主連邦共和国」

 北朝鮮はソ連をモデルにした経済政策が奏功し、韓国より経済力が高く優位にありました。これに対し韓国の朴正煕大統領は経済力強化に乗り出します。国内向けの政策の成果が乏しいとみると、外国資本を宛てにして経済再建を行います。その中には日韓基本条約の締結による賠償金も含まれます。

 余談ですが、よく日本は韓国に賠償金を支払ったのに時の政権はそれを国民に払わずに使ってしまったと言われます。この朴正煕大統領の経済政策がそれに辺ります。朴正煕大統領は工場やダムの建設に使用します。この時期の韓国の収入は日本からの賠償金だけではありません。様々な方法で西ドイツや米国などから支援を得ており、賠償金が何に使われたかを明確にすることはできません。

 しかし、その結果「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長期に突入します。そして北朝鮮の経済力を逆転しその差を大きく開くことに成功します。悲願である「南北統一」に優勢な状況を作り上げたのです。日本からの賠償金を国民に直接分配してもこのような経済効果は見込めなかったでしょう。また、日本からの賠償金を工場やダムの建設に注ぎ込まなければ「漢江の奇跡」はなかったでしょう。そう考えると韓国国民にとって最適な賠償金の使い方でした。しかし日本から見ると、その使い道を国民に知らせなかったことが反日感情の一因であることから最悪の大統領だったとも言えます。

 こうして北朝鮮と韓国の経済力は逆転しました。またこの頃には米中、米ソの関係が一気に改善され一触即発という状態ではなくなります。そうした国際状況の変化もあり極秘裏に「南北共同声明」が成立し1972年に発表されました。そこでは平和的統一と外部勢力によらない自主解決が宣言されました。冷戦構造の緩和に従って南北朝鮮も平和的な統合へ向けて合意形成したのです。

 しかし朴正煕大統領の民主化機運を抑えるための悪役・北朝鮮という扱いは変わらず、朴正煕大統領が暗殺され全斗煥大統領に替わるまで動きはありませんでした。1980年に全斗煥大統領になると北朝鮮は「高麗民主連邦共和国」という統一案を提案します。再びの連邦制の提案です。しかし、諸条件が韓国には呑めず受け入れられませんでした。

韓国の対北朝鮮宥和政策「太陽政策」

 80年代になるとソ連の崩壊から東欧の解放と歴史は急激に動きます。南北朝鮮もその影響を受けて接近し、首脳会談を開催するなど劇的な進歩を見せました。90年代に入ると北朝鮮は二代目の金正日が首席となり、韓国では独裁政権が終焉を迎えて民主的な政権へと移行します。

 そこで1998年から取られたのが「太陽政策」です。韓国と北朝鮮の経済力の差は大きく拡大していました。経済分野で北朝鮮との連携を深めることで統一を目指すという政策でした。韓国はそのために北朝鮮の背景にある中国、ソ連と国交を樹立して経済連携を深めていきます。そして北朝鮮と共同事業を立ち上げ韓国への経済依存度を高めていく作戦でした。

 この太陽政策で立ち上がった共同事業により韓国国民に「南北統一」が見える形となりました。しかし、それにより南北統一への反対勢力が台頭する事態になりました。主な反対者は戦争世代の高齢層と統一の経済的負担を担う若年層でした。かつての独裁政権の韓国であれば抑えつけられた反対意見も民主化したとあっては強引に抑えることはできません。

 そして2006年の北朝鮮の核実験で太陽政策は破綻しました。北朝鮮はこれは「米国の脅威に対抗するもの」としており南北での対話は引き続き行われていますが、韓国内でも太陽政策の賛否は分かれており、前進はしつつもゴールまでは走りきることができませんでした。

 ⇒朴大統領「来年にも南北統一するかも」はありえない?② 壁を壊したらどうなる?

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