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イランの核協議が歴史的? 知っておきたいイランとアメリカ、そして日本の歴史

time 2015/07/30

イランの核協議が歴史的? 知っておきたいイランとアメリカ、そして日本の歴史

 先日、イランが核開発を縮小することで、最終合意に至りました。
 国連常任理事国にドイツを加えた6ヶ国とイランとの協議により、イランは
ウラン保有量制限、濃縮活動制限、査察の受入れなどを承諾しました。
 代わりに、石油を含む輸出入を制限した経済制裁が解除されます。

 アメリカのオバマ大統領は「歴史的な合意」と表現しました。
 これは「話し合いによる戦争回避」が歴史的という意味もあるでしょう。
 しかし、主にアメリカとイランの関係において歴史的という意味が強いです。
 つまり、国内向けに主体をおいた表現だということです。

 アメリカとイランには因縁とも言える歴史があります。
 その歴史を知ってから、もう一度「歴史的」の意味を考えてみましょう。

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かつてはアメリカの友好国だったイラン

 1979年にイラン革命が起こるまで、イランは帝政が敷かれていました。
 皇帝は非常に親欧米的で、アメリカとは同盟を結んでいました。
 この頃のイランはアメリカから見て、中東の重要国でした。

 ところが、革命政権は皇帝への反感から、反欧米的となります。
 皇帝はアメリカへと亡命します。
 そこで、アメリカへ皇帝の引き渡しを求めた学生達が、アメリカ大使館を
占拠して大使館員を人質に取るという事件が発生します。

 イランの新政府はこの犯罪行為を取締るどころか、支援します。
 また、打倒イスラエルを唱えるヒズボラやハマスへの支援も行います。
 イスラエルを支援している欧米からすればテロ支援になります。

 アメリカ大使館人質事件やイラン政府の施策から、イランとアメリカの
関係は険悪となり、国民感情のレベルで反発が強まっていったのです。

イランの歴史 ロシアとイギリスの支配に苦しむ

 親欧米の皇帝が倒され、革命政権が反欧米になるのは普通の流れです。
 しかし、「革命」とは穏やかではありません。
 親欧米の皇帝が「革命」で倒されるには、それなりの理由があります。

 イランは19世紀の列強の帝国主義により弄ばれてきました。
 初めはロシアやイギリスが草刈り場として、イランに進出してきます。
 ロシアは領土を奪い、イギリスは利権を奪い、国王は傀儡となります。

 1905年に日露戦争で日本がロシアに勝利すると、立憲国家の勝利と
受け止められ、イラン立憲革命が起こります。
 しかし、国内の対立に英露の干渉、果てはロシア軍の介入を受けて、
1911年には立憲政府は解散となり、革命は終わります。

 その後は英露に分割占領状態になり、一次大戦ではトルコに攻め込まれ、
ロシアで共産革命が起きるとイギリスが保護国化を進め、それに反発して
革命が起きるも長続きせず、と不遇の時代が長く続きます。

イランの歴史 革命政権が反欧米になった理由

 二次大戦時は中立維持を望むも、連合軍の進駐を受け連合側に立ちます。
 自主独立とはほど遠い状況にありました。

 そこでモザッデグ首相は戦後の混乱が収まると、反欧米的施策を打ちます。
 それが、イギリスに独占されていた石油利権の国有化です。
 ところが、イギリスとアメリカによって失脚させられ失敗に終わります。

 せこで、次に立ったのが皇帝でした。
 皇帝は白色革命の元、西欧化を進めていきます。
 これに反対する人達は、秘密警察を使って弾圧します。

 秘密警察はCIAやFBAが協力しており、完全に米英の傀儡でした。
 この西欧化は貧富の差が拡大し、強引な手法に反発が高まります。

 ちなみに、ミニスカートを履くイラン女性の写真を知っていますか?
 この頃は西欧化により女性の服装も自由だったのです。

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1970年代のイラン女性

 確かに、イラン革命以前は親欧米政権でした。
 それは英米が傀儡とした政権なのだから当然のことです。
 傀儡政権は、石油利権を守るために英米が前政権を打倒して立てたのです。

「歴史的な合意」は自作自演?

 35年以上も国民レベルで険悪な関係だったアメリカとイラン。
 その2国が中心となった核協議が合意に達したのは歴史的なことです。

 しかし、そもそもイランが反欧米になったのはなぜなのか。
 それは帝国主義時代の欧米の傍若無人な振る舞いのせいなのでは?

 自分達でイランの国民感情を逆撫でして、関係悪化を進めていきながら、
和解したら「歴史的」と自賛する姿は滑稽に映ります。

 もちろん、オバマ大統領がイランの反米を煽ったわけではありません。
 しかし、国の指導者なら過去の国事にも責任を持って欲しいものです。

気になるドイツの存在

 イランの核協議にはドイツが参加しています。
 6ヶ国は、国連の常任理事国である米英仏露中にプラスしてドイツです。
 ドイツは歴史的にイランと深いつながりがあったからだそうです。

 それを言うなら、日本もイランとは長い友好の歴史があります。
 1953年の日章丸事件から、両国は友好的関係になったと言われます。

 日章丸事件は「海賊とよばれた男」という小説のモデルになっています。
 「永遠のゼロ」で時の人になった百田尚樹さんの著作です。

 日本がアメリカに追随してイランの経済制裁に参加したときにも、日本は
イランとの友好関係を利用して違うアプローチができるのではないか?という
議論が行われていました。

 重要なところで外されてしまうのは日本外交としては残念です。
 しかし、参加しても民主党政権時代に重なるので良かったのかも知れません。

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